日本を含めた世界の”ミスコン”の歴史や人気度、考え方の違いをご紹介します。

ミスコンの歴史

 

微笑む美人

 

ミスコンは「ミス・コンテスト」の略で、独身女性の美を競うものです。
その歴史は1800年代後半からになり、日本では1891年(明治24年)に芸者100名の写真に投票を募った「東京百美人」が初のミスコン(美人コンテスト)だと言われています。

 

世界初のミスコンは1888年9月16日にベルギーで開催された「コンクール・ド・ボーテ」と言われていて、日本と世界ともにミスコンが始まったのは同年代です。
一般女性を対象にした国内初のミスコンは1907年の世界美人コンクール(シカゴ・トリビューン主催)日本予選だとされています。

 

 

本格的な普及は1950年以降

 

日本でもっとも長い歴史を持つミスコンが1950年に第1回が開催された「ミス日本」です。
戦後、アメリカ国民へ感謝を伝えるための女性親善大使を選抜する目的で、読売新聞社主催で開催されました。
その後は国内外で大規模なミスコンが相次いで開催されるようになりました。

 

 

世界4大ミスコン

 

  • ミス・ユニバース(1952年~)
  • ミス・グランド・インターナショナル(1951年~)
  • ミス・ワールド(1951年~)
  • ミス・アース(2001年~)

 

 

日本5大ミスコン

 

世界4大ミスコンの日本代表を決める大会と、日本人女性ならではの美しさを決めるミス・日本による5つが日本5大ミスコンです。
世界大会へ向けたミスコンは、ダイナマイトボディにはっきりした顔立ちなど欧米から好まれる女性が選ばれる傾向が強く、ミス・日本のグランプリが国内で人気になるケースが多いです。

 

コアなファンから高く評価されるミス・アース・ジャパンは、日本人が世界大会で上位に入った実績がないことから、国内では知名度・人気ともに伸び悩んでいます。
一方で、大学が在校生を対象にしたミス・キャンパスは女子アナの登竜門と呼ばれるなど、人気が年々高まっています。

 

 

ミス・キャンパスの普及

 

ミス・キャンパス(大学のミスコン)が本格的に普及したのは1990年代で、ミス慶応を決める三田祭がブームの火付け役だと言われています。
1991年のミス慶応グランプリに輝いた小川知子さんが人気女子アナになったことをキッカケに、その後は有名大学のミス・キャンパスが女子アナや芸能界(女優・タレント・モデル)で活躍する人が続出しました。

 

このほか、元フジテレビアナウンサーで横綱・貴乃花の元妻だった河野景子さん(1984年ミスソフィア(上智大学))など、1980年代からミス・キャンパスの肩書きで人気を集めた事例があります。
キャスターやアナウンサーの成功事例が増えるにつれミス・キャンパスの肩書きが高く評価されるように変わっていき、ミスコン受賞歴を持つお天気キャスターや女子アナの比率が高まっていきました。

 

 

海外との違い

 

美しい白人女性

 

日本では5大ミスコンとミス・キャンバスの人気が高い一方で、注目度が低くてエントリー者が少ない地方のミスコンが散見されます。
それに対して海外では年々ミスコンの人気が高まっていて、アメリカなど多くの国では幼少期から子供をミスコンに参加させることが当然になっています。

 

幼児(2歳~)でも多くのミスコンが盛り上がっている海外とは対象的に、日本では高校生以下のミスコンや社員を対象にした社内イベントのミスコンに対して否定的な意見が増えています。